高谷史郎 アーティスト
京都市立芸術大学環境デザイン科卒。1984年ダムタイプ創設メンバーとして活動に参加。以降、ダムタイプのパフォーマンスやインスタレーションの制作に携わり、映像、照明、グラフィックや舞台装置デザイン等を手がける。個人の活動としては、1990年ダニエル・リベスキンドのディレクションによるオランダの都市プロジェクト「STADSMARKERING
- GRONINGEN」に浅田彰との共同制作で参加、1999年坂本龍一オペラ『LIFE』の映像担当など。1998年にインスタレーション作品『frost
frames』、2000年に『optical flat』(国立国際美術館収蔵)、2001年バレンシア・ビエンナーレにて中谷芙二子との共同制作作品『IRIS』発表など。
浅田彰 批評家
1957年生。専門は経済学、思想史。著書に、『構造と力―記号論を超えて』(勁草書房)、『逃走論―スキゾ・キッズの冒険』(ちくま文庫)、『映画の世紀末』(新潮社)、『20世紀文化の臨界』(青土社)、など。ほか、『批評空間』、『インターコミュニケーション』の編集委員をつとめ、メディア・アート分野の活動にも積極的に関わる。古橋悌二を囲む公開討論の記録が『memorandum』(リトルモア)に収録されている。現在、京都大学経済研究所助教授。
溝口彰子 草の根文化系レズビアン・アクティヴィスト/表象・ジェンダー論研究者
1962年生。1990年から1996年までスパイラル/ワコールアートセンター勤務。「pH」再演、「S/N」東京初演の広報を担当。1996年より「草の根文化系レズビアン・アクティヴィスト」を名乗り評論活動開始。1998年よりNYのロチェスター大学大学院に留学、ダグラス・クリンプらに師事し、帰国。博士論文(レズビアン・ジャンルとしてのヤオイ)執筆中。
「MOTアニュアル2005 愛と孤独、そして笑い 展」(東京都現代美術館、2005年)に「溝口彰子O.I.C.」という名前でグループワークを出品。
現在、東京国立近代美術館フィルムセンターおよび、お茶の水女子大学「ジェンダー研究のフロンティア」客員研究員
ベアリーヌ・ド・ピンク
女装詩人。年齢不詳。日本でHIV感染を公表している唯一のドラァグクイーン。ただ、生来の怠慢な正確からリップシンク(口パク)など技術を要するショーはあまり行わず、主にセクシュアリティとエイズ問題を表現した詩を朗読する「女装詩」と称するパフォーマンスを行う。90年代終わりのクラブシーンに突如出現し、楽しい雰囲気のなかで嫌がらせのようにエイズに関するメッセージを発信し始める。大多数の聴衆を混乱に陥れながらも極めて限られた一部の層から熱烈な支持を受ける。
シモーヌ深雪
1989年にソロデビュー。関西を拠点とし、ライブハウスを中心にシャンソンギグを行う。また、『DIAMONDS ARE FOREVER』などを始めとし、数々のクラブイベントにも出演する。現在は国内外を問わず、幅広い活動を展開中。2002年より始まった『INSERT』(神戸)や、『PLuS+』(2004年、大阪)などのHIV予防啓発イベントには、主に舞台演出を中心として参加。
◆CD『美と犯罪』『血と薔薇』ほか/MOVIE『ダイアモンドアワー』ほか
メロディアス
ナジャ・グランディーバ
MACHOな風貌にSUPERMODELのしなやかさ、相反を所有する稀有の存在として関西NO.1 DIVAに君臨する。恵まれた体躯によるグラマラスなパフォーマンス、芸術ともいえるリップシンクは、シドニー・マルディグラの50万もの観衆から"AMAZING!"と絶賛される。浜崎あゆみ、ドリカムのPV出演の他、東はTOKIO、西はタージンまでノージャンルなスターと競演!その後、仏セザール賞監督作"鈴木さん"の映画出演を皮切りに、ベルリンのアートコンペ"IN TRANSIT"、パリの著名CLUB"QUEEN"への出演等、その活動を世界へと広げる。今後も国内外、CLUBシーンに留まらぬ奇想天外な活動が期待される。
jtty(ジェイティティワイ)
ダムタイプの作品に初期から数多く参加してきた山中透(ty)と、関西を拠点に精力的に活動しているソロ・ユニット、speedometer.の高山純(jt)によるデュオ・ライブ。
山中透 作曲家、プロデューサー、DJ
ダムタイプの作品に初期より数多く参加。現在はシモーヌ深雪(パフォーマー)、LAGOWSKI(musician/UK)、Ong Keng Sen(Director/Singapore)など様々な分野のアーティストとコラボレーションを行う。1985年〜1994年に作られた古橋悌二氏との共同作業による音源を全て収録したCDボックス全集Vol.1(3枚組)をkavcaapで発売予定。
speedometer.
高山純(打ち込み、ブレイクビーツ、サンプリング)によるソロ・ユニット。1997年に田中フミヤ主宰のレーベル"UNTITLEDRECORDS"より1stアルバム『SPEEDOMETER』を発表。独特のサウンド・コンストラクションで異彩を放つ。STEREOLABやJIMI
TENOR、Ursula Ruckerの来日時にはオープニングアクトをつとめる。他、SPDILL(イルリメとのユニット)での活動など。
浦地 思久理(ウラジ シクリ)元ドラッグクイーン、元イラストレーター。
ゲームキャラクターデザイン、ファンシー商品企画を経て、1985年頃からフリーイラストレーターとして、雑誌、広告、TV等で活動。1989年よりクラブイベント「DIAMONDS
ARE FOREVER」にドラァグクイーンとして出演。1994年ドラァグクイーンビデオムービー「ダイヤモンド・アワー」を制作、発表。1995年〜エイズ・ポスター・プロジェクトを度々おちょくる。1999年シモーヌ深雪と共に全日本クイーン祭り「DIVA
JAPAN」プロデュース。2001年「D・K・ウラヂ」を「浦地思久理」に改名。現在「クラブでのドラァグクイーンの時代は終わった。」と、クイーンの活動は休止中。また「つまんない。」とイラストレーターの活動も投げ出す。
松尾惠(マツオメグミ)ヴォイス・ギャラリー代表。
京都市立芸術大学卒業後、制作活動を経て1986年ヴォイスギャラリー開設。現代美術の社会的意義を探求しつつ、商品性の普及にも努める。1990〜2000年京都市の芸術文化事業、京都芸術センターの運営において、主として現代美術展の企画・運営にかかわる。他に、国際交流展、企業との共同展等の企画・運営。1995年ACC日米芸術交流プログラム/セゾン文化財団の奨学生。現在、京都造形芸術大学・京都嵯峨芸術大学非常勤講師、(財)京都市芸術文化協会評議員、金沢市民芸術村アドバイザー。
ナジャ・グランディーバ (ドラァグクイーン)
MACHOな風貌にSUPERMODELのしなやかさ、相反を所有する稀有の存在として関西NO.1 DIVAに君臨する。恵まれた体躯によるグラマラスなパフォーマンス、芸術ともいえるリップシンクは、シドニー・マルディグラの50万もの観衆から"AMAZING!"と絶賛される。浜崎あゆみ、ドリカムのPV出演の他、東はTOKIO、西はタージンまでノージャンルなスターと競演!その後、仏セザール賞監督作"鈴木さん"の映画出演を皮切りに、ベルリンのアートコンペ"IN TRANSIT"、パリの著名CLUB"QUEEN"への出演等、その活動を世界へと広げる。今後も国内外、CLUBシーンに留まらぬ奇想天外な活動が期待される。
高嶺格 アーティスト
1968年生まれ。美術作家。90年代初頭より、パフォーマンスやインスタレーション、ビデオから工芸的手法まで、多彩なアプローチの作品を発表してきた。個人作品の傍ら、舞台作品のコラボレーションも数多く手掛ける。93年から97年までダムタイプのパフォーマーとして3作品に参加。「性」の問題などにも触れながら、異なる背景や価値観を持つ他者への接触と困惑、更に相互理解を志向するプロセスを真摯に表現する。
原万希子 インディペンデント・キューレーター、美術評論。創形美術学校講師。
1967年生。カナダのコンコルディア大学美術学部美術史修了。1993年よりTokyo Art Speak主宰。1993年よりインディペンデント・キューレーターとして主に日本とカナダ、2国を拠点に数々の企画展を手がける。2001年第1回横浜トリエンナーレ、2002年第2回大地の芸術祭,越後妻有アートトリエンナーレなどの企画・運営などに関わる他、日韓ワールドカップ2002で横浜、埼玉スタジアムのメディアセンター、記者席担当チーフスタッフを兼任するなどアート以外の分野でも活躍する。1997年カナダに移住。1998年、カナダ在住中に高嶺格をモントリオールに招待し「ONIX
DREAMS」を企画・実施。
西川 勝 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任助教授
1957年、大阪生まれ。夜間大学で哲学を学びながら、無資格の看護人として精神病院に就職。臨床現場の迫力、魅力に圧倒され大学中退。その後、10年近くかけて看護師となる。40歳で臨床哲学と再会したことで、「臨床看護の哲学的転回」を志向する。社会人入試を経て大阪大学大学院臨床哲学修士課程修了。精神病院・血液透析・介護老人保健施設・認知症専門デイサービスセンターなどで、障害や老いのケアに取り組んだ経験を、哲学的言論の中で明らかにしようと模索中。『精神看護』(医学書院)で「職場のエロス」や「下実上虚」を連載。2005年4月より現職。
フィル・ミーレンゲー/また会いましょう <ジャパンプレミア>
Phir Milenge/2004年/インド/ヒンディ語・英語/カラー/2時間25分/35ミリ/シネマスコープ
監督 レーヴァティ
出演 サルマン・カーン、シェルパ・シェティ、アビシェク・バッチャン
公式ウェブサイト http://www.phirmilenge.com
監督公式ウェブサイト http://www.revathy.com
■英語&日本語字幕
世界一影響力のあるインドのボリウッド映画界が大スターを起用し、初めてエイズの問題を扱った話題作。最愛の男性からHIVに感染した一流広告会社のキャリアウーマンが、会社から「勤務態度と質に問題があった」と解雇。だが、真の理由は、彼女のHIV感染だった。仕事に多大な情熱をかたむけてきた彼女は、自らのキャリアを否定する汚名と、HIV感染者への偏見を晴らすべく、企業を相手に孤独な闘いを始める…。
物語はさながら、インド版の「フィラデルフィア」。ハリウッド版の方は、発表された1993年当時としては画期的な内容だったが、HIV/AIDSを取り巻く時代意識から「感染=すぐさま”死”」のイメージをなぞらざるを得なかった。だが、それから10数年。医療やケアなどのクオリティは飛躍的な発展を遂げ、AIDSは必ずしも”死”に直結する病ではなくなった。今作はその現実を、巧みに反映。将来を誓った男性からHIVに感染した衝撃を乗り越えて、仕事の第一線に復帰すべく”ポジティブ”に闘うヒロインの姿を、温かくクローズアップ。ウィルスと共存しつつ、非感染者と同様に”豊かな生のあり方”を模索する、現代のHIV陽性者のリアルな姿を、希望に満ちたまなざしで描き出していく。
レーヴァティ
南インドのタミル語映画界を中心に活躍する演技派女優。大学在学中に名匠バラティラージャ監督に見いだされ、83年に役者デビュー。インドのアカデミー賞と言われるフィルムフェア賞の最優秀女優賞(タミル語映画部門)など、数々の演技賞に輝く。98年からTVドラマの演出を手がけ、02年には全編英語・アメリカロケの「Mitr
My Friend」を撮り、批評家から称賛を集め、04年に第2作となる今作を発表。私生活では、数々のNGO活動への参加を通じて、障害者の就業や恵まれない女性をサポートするなど、社会問題に積極的に取り組んでいる。
『Yesterday Today Tomorrow/昨日 今日 そして明日へ…』
(Yesterday Today Tomorrow/2004年/日本=タイ/カラー/1時間26分/DV
監督・撮影・編集 直井里予(アジアプレス)
※ドキュメンタリー
■日本語字幕、英語字幕
アジアプレスの女性ジャーナリストが、タイ北部の農村に住む、全員がHIVに感染した2組の家族を3年間にわたって追ったドキュメンタリー。家族のあるべき姿をわざとらしく訴えたり、世界的な惨事としてのエイズをことさら強調することなく、この病がいかに人間の心に影響を与えていくかを、親密でありながらも決して感情に溺れない客観的な視点から淡々と見つめていく。ワールドプレミアとなった今年1月のバンコク国際映画祭では大評判となり、異例の追加上映が組まれた。
直井里予
フリージャーナリスト。70年、茨城県生まれ。アジアプレスに所属。99年からタイに在住。タイの農村を開発する日本人NGO職員の生活を追ったドキュメンタリーを撮った際、今作の主人公となるHIV感染者に出会う。01年から03年にかけてタイ北部のパヤオ県にて今作の撮影を行い、さらに編集に1年を費やして完成。今年1月のバンコク国際映画祭にて初上映されるや、異例の追加上映が組まれるなど、大きな反響を呼んだ。現在は日本に帰国し、今作の巡回上映を計画中。他のビデオ作品には「変わりゆく香港メディア事情」(MXテレビ)がある。
『たとえばこんな希望が。-2つのエイズ対策先進国より』
渡邉文隆
京都大学総合人間学部在籍。
大学を休学し、2002年4月から2003年3月まで、日本ブラジル交流協会22期研修生として、ブラジルで邦字新聞記者として働く。その傍ら、HIV感染者相互扶助団体「GIV」に通い、取材と撮影を行う。
2003年度、日本で所属している非営利団体の「あしなが育英会」がウガンダでエイズ遺児支援プロジェクトを立ち上げることになり、再び休学。第1期研修生として2004年4月〜12月末までウガンダに滞在した。これまで国内5ヵ所に加え、ブラジルのNGOでも写真展を開催。ウガンダでは、15歳で父親を亡くした自分との共通点を探りながら、エイズで親を亡くした子どもたちを取材・撮影した。
村上裕美子
大阪市立工芸高等学校映像デザイン科を経て、日本大学芸術学部写真学科入学。現在4年。大学3年を終えて休学。2004年4月〜2005年3月、日本ブラジル交流協会
24期生としてブラジルに滞在する。サンパウロ大学の授業を聴講する傍ら、GIVなどで取材をしHIV/エイズとともに生きる人々を目の当たりにして衝撃を受ける。
ブラジルに行く前に渡邉が、「ふたつのエイズ先進国に、日本人が同時にカメラを携えて長期滞在するなんて滅多にないだろうから、ちょっと一緒に写真展開くつもりでやってみないか」と持ちかけたのが始まりとなる。
活動歴 :
2001年7月 グループ展「空間」大阪・OMOギャラリー
2002年 祥伝社より同世代の女性の日常ヌード写真集「20歳れ!」出版
2003年 慶應義塾大学「めでぃすた慶應」のアフガニスタン現地の動画中継プロジェクト参加
デザイン担当
2003年12月 グループ展「表裏」東京・Le Deco